英会話が苦手なのに英語が得意だと思っていた⁉
英語を学ぶことは外国人とコミュニケーションをとることが目的なので、本来は読解(リーディング)や英作文(ライティング)だけでなく、英会話(リスニングとスピーキング)の全ての能力を備えてこそ英語ができるといえます。
でも私は英会話が苦手なのに、学生時代の英語の成績がわりと良かったので、自分は英語が得意な方だと思い込んでいました。
海外旅行に行っても英語でうまくコミュニケーションが取れず、外国人の友達と会っても相手の言っていることをよく聴き取れないし、自分の言いたいことの半分も英語で伝えられないにもかかわらず…
なぜ、それでも自分は英語が得意な方だと思っていたのか。それは、私は英文法が得意なので、辞書さえあれば、そこそこ読み書きができてしまうからでした。
メールや手紙なら何とか意思の疎通ができるので、会話が苦手なだけで、自分はちゃんと英語をわかっているんだという妙な自信を持っていたのです。
無意識のうちに、会話、つまり、英語の音を軽視し、英会話ができないことは英語を理解するうえで大きな問題ではないと思っていたのです。正しい英語の音を知らなくても、英語の文字さえ読めれば、英語を「理解する」ことはできるからです。
そもそも英語の音が聴き取れないー優越性の追求と劣等コンプレックス
でも私は英語が理解できれば英会話なんてできなくてもいいと思っていたわけではありません。むしろ、苦手な英会話を克服して海外旅行や外国人の友達との会話を楽しみたいとずっと思っていました。
そんな私がなぜ、英語の「音」を軽視して「文字」にばかり頼ってしまったのか。英会話で「音」が重要なことは、外国人と話をするたびに痛感していたことなのに。
その理由は大きく分けて3つありました。私の耳が悪いこと、黙読すれば音を知らなくても問題ないこと、音を知らずに黙読した方が英文を速く読めることです。以下、順に書いていきたいと思います。
まず一つ目の理由は、私は軽度の難聴のため普通の人の半分くらいしか耳が聞こえないことにあります。
特に高い音が聴き取れないので、子音の多い高音中心の英語を聴き取ることは、私には非常に難しいのです。
しかも、実際の英語の音はカタカナ英語のようにブツブツ切れたものではなく、リンキングという音と音がつながったかたまりが、独特のリズムに乗って流れていきます。
そんな英語の音は、私にとっては遥か上空をす~っと流れていってしまう雲のようで掴みどころがないのです。
ところが英語を文字にすると、その英語をはっきりと認識できます。私にとって英語は、音より文字の方がシンプルかつ明確で認識しやすいのです。
だから、なおさら文字に頼ってしまい、ますます音を軽視するようになってしまいました(汗)
人は無力で不自由な状態で生れるため、能力をつけて成長し、自分の力で自由に行動できるようになりたいと望む(優越性の追求)一方で、理想に到達できていない自分に対して劣等感を抱(いだ)きます。そして、人は劣等感をずっと持ち続けて我慢(がまん)することはできません。
そこで、自分の足りない部分を努力して埋(う)めていこうとするのが健全な姿です。例えば、スポーツ選手が自己ベストを更新しようと練習に励(はげ)んだりすることです。
それに対して、実のところは今のままの方が楽(らく)で辛(つら)い努力をしたくないからなのに、自分の欠点を言い訳にして〇〇できない、と努力しない自分を正当化することを「劣等コンプレックス」といいます。
これは「欠点がなければ自分は〇〇できる、自分は本当は有能なのだ」と自分の有能さを暗に示しているとも言えます。
かつての私はこの「劣等コンプレックス」に陥(おちい)っていました。
生まれつき耳が悪いので英語の音を聴き取りづらいことは事実です。しかし、それでも自分ができる範囲で英語の音を聴き取ろうと努力すべきなのに、耳が悪いことを言い訳にして努力を怠(おこた)っていました。
しかし、そうやって努力しないで楽しようとしていては、いつまで経っても英語の音を聴き取れるようにはなりません。勇気を出して一歩踏み出し、地道な努力をすべきなのです。
正しい英語の音より文字とカタカナ英語が有利⁉
英語の音を軽視して文字にばかり頼ってしまった二つ目の理由は、テキストなど本を読んで勉強することに慣れてしまったことにあります。
文字の意味さえ分かれば本の内容を理解できるため、必ずしも正しい音を知っている必要がなかったからです。
最近は実践重視の英語教育も行われているようですが、私が学生の頃は文法と読解(リーディング)が中心でした。
授業で英語を声に出して読むときはカタカナ英語で、正しい英語の音とは似ても似つきません。多くの外国人がこうした日本人のカタカナ英語に困惑するのも当然です。
でもペーパーテストの英文読解や英作文では、そんなことは問題になりませんでした。正しい英語の音を知らなくても問題は解けてしまうのです!
それどころか、英単語の綴りを覚えるために自習しているときは、「friend(友達)」をあえて「フリエンド」と読んだりしていました(学校の授業で英文を音読するときはちゃんと「フレンド」と読んでいましたよ)。
その方が綴りを間違える可能性が減り、ペーパーテストで良い点が取れるからです。
また、ペーパーテストでも英単語の発音やアクセントの位置をきく問題がありましたが、英単語と一緒に発音記号を覚えおけば、実際の英語の音を聴く必要すらありませんでした。
こうして私は、正しい英語の音を知るどころか、自分が覚えやすいカタカナ英語で英単語を読んだり、発音記号だけ覚えて実際の英語の音は聴かなかったりと、ますます正しい英語の音から遠ざかっていきました。
リスニング問題以外は、受験対策としてそれで十分だったのです。
英語の音を知らない方が英文を速く読める⁉
最後に英語の音を軽視して文字にばかり頼ってしまった3つ目の理由は、英語の音を無視して黙読した方が英文を速く読めて時間の節約になるからでした。
もし英文を音読したり、声には出さなくても頭の中で英語の音をイメージしながら英文を読んだりすれば、黙読するよりもはるかに時間がかかってしまいます。
おそらく私だけでなく多くの日本人は日本語の本を黙読するとき、頭の中で音読していないのではないかと思います。日本語は一つ一つの文字が意味を持つ漢字(表意文字)がバランスよく含まれ、まるで絵を眺めるように読めてしまうからです。
そんなふうに黙読することに慣れているせいか、英文も頭の中で英語の音をイメージせずに読んでいました。
しかも、その方が短時間で英文をたくさん読めるので、特に長文読解など英語の試験問題を速く解けて効率的だったのです。
英語の文字に頼りがちなのは受験英語の弊害?
と、長々と英語の文字に頼ってしまう言い訳を書いてきましたが、結局、私は楽な方へ楽な方へと流れ、文字に頼り英語の正しい音と向き合うことから逃げていたのです。
他方で、文字(読み書き)を中心に勉強した方が英語の試験対策として有利だし効率的だったから、英語の音を軽視するようになってしまったことも事実で、これは受験英語の弊害でもあると思います。
教育現場では子どもたちにもっと使える英語を教えるべきだと言われ続け、小学校から英語の授業が始まり、ALT(外国語指導助手)の導入なども進んでいます。
しかし未だに多くの子どもたちにとって最終的なゴールは、入学試験で良い点数を取ることです。
入学試験では順位をつけて合否を判断するため、採点しやすいように、選択問題はもちろんのこと、記述式問題にしても、どうしても正解が一定のものにならざるを得ません。そのため英語の勉強もそういった「答えのある」試験対策が中心になってしまいます。
でも英語はコミュニケーション・ツールです。
日本の将来を担う子どもたちに、もっと使える英語を身に着けて国際人になってもらいたいなら、一定の枠にはまった答えを求めるのではなく、日本の歴史、文化や日本の良いところ、問題点、そして、自分の意見、考え等を英語で話したり書いたりできることをゴールにすべきではないでしょうか。
英語に限った話ではありませんが、一人一人の答えを尊重し、子どもたちに順位をつけることをやめて、子どもたちの個性を伸ばすことこそが、目まぐるしい速さで変化していく世の中に柔軟に対応するために求められているのではないかと思います。
英語はラジオ型言語で、日本語はテレビ型言語⁉
少々脱線してしまいましたが(汗)、英語の音の話に戻りたいと思います。
本来、言葉というのは、音が先に生まれ、文字はその音を記録するための手段に過ぎなかったはずです。
実際、言語社会学者である鈴木孝夫さんの『日本語と外国語』によれば、「英語は、たくさんの音を持ち、音の組合せだけで効率の良い伝達を行なえる、恵まれた音声のしくみをもっている言語」だそうです。
つまり、英語は音を聞くだけで理解できる「ラジオ型」の言語で、正しい音を知ることが非常に重要なのです。
基本的に英語のアルファベットは表音文字で、英語の音を目に見える視覚情報の形に変えたものに過ぎません。
他方で日本語は音が少ないため「構成と公正」など同音異義語が多く、音だけでなく文字も併用して伝達を行う言語だそうです。
実際に私も日本語を話すとき、頭の中にボヤっと漢字(文字)を思い浮かべています。日本語は、音と映像(漢字)を必要とする「テレビ型」の言語で、音だけでなく文字も重要なのです。
だから私は英語を勉強するときも、無意識のうちに日本語と同じように文字も思い浮かべていたものの、肝心な音の方を軽視するようになってしまったのかもしれません(汗)
英語は文字よりも音が重要で、英会話をマスターするためには、正しい音を知ることは避けて通れません。
実際、とあるイギリス人女性から「英語を話すとき文字を頭の中で思い浮かべていない」と聞いてびっくりしました。そして、彼女も私が英語を話すとき頭の中で文字をイメージしていることを知って、かなり驚いていました。
英語で読み書きができても、それは英語の知識が多いだけ、つまり、英語について知っているだけです。
正しい英語の音を知らなければ、英語をコミュニケーション・ツールとして活用できず、使える英語にはなっていなかったのです。
これからどうするか
楽して英会話ができるようになりたいと正しい英語の音と向き合うことから逃げていましたが、残念ながら物事の習得に王道はありません。
There is no royal road to learning.
まずは、地道にカタカナ英語を正しい音で覚え直していくことにしました。
『日本語と外国語』 鈴木孝夫さん(1990年 岩波書店さん)
『英語は逆から学べ!』苫米地英人さん(2008年 フォレスト出版さん)
『愛に生きる』鈴木鎮一さん(1966年 講談社さん)『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイドさん、有枝 春さん訳(2016年 ディスカヴァー・トゥエンティワンさん)
『嫌われる勇気』岸見一郎さん、古賀史健さん(2013年 ダイヤモンド社さん)