ライフスタイル(世界の見方)を変えれば心が穏やかになり幸せになれる

遅刻を許せない私は自己中⁉

前回の記事(幸せになるために―自分軸を見つけるヒント)にも書きましたが、かつての私は他の人から好かれようと、いつも他人の期待に(こた)えようとしていました。
その一方で、同じように他の人にも「こうしてほしい」とか「こうあるべきだ」と期待していました。

子どもの頃いつも遅刻してくる友達がいました。約束の時間はきちんと守るべきだと思って行動していた私は、いつも待たされるたびに頭にきてイライラしていました。

でも私が頭にきてイライラしていたのは、私が「自己中」だったからでした。
ただ、ここで言う「自己中」は、わがままという意味の自己チューではありません。
アドラー心理学でいう「自己中心的」(自分にしか関心がない)という意味です。

前回の記事(幸せになるために―自分軸を見つけるヒント)に、誰もが生きていくために「愛されるためのライフスタイル」を選択すると書きましたが、自分にしか関心がなく、他人の注目を集めて世界の中心に立とうとすることは、言い()えれば、他人を自分の思い通りにしようとすることです。

例えば赤ちゃんは自分では何もできないので、生きるために、泣くことで(まわ)りの人の注目を集め、自分の面倒(めんどう)を見てもらおうとするわけです。
正確に言うと、赤ちゃんの場合は「面倒を見てもらわざるを得ない」のですが。

私も子どもの頃はまだ「愛されるためのライフスタイル」という自己中心的なライフスタイルを選択していて、他の人を自分の思い通りにしようとしていました。
だから友達が自分の思い通りに行動してくれないことにイライラしてしまったのです。

「悪いあの人、可哀そうな私」と苦悩しても徒労に終わるだけー「愛されるためのライフスタイル」からの脱却

でも大人になるにつれ、他人に期待するのはやめようと思い始めました。
私はなぜかどんな会社に就職しても、気持ちよく一緒に働くことができない人と仕事をしなければならないことが多く、いつも(いや)な思いをしていました。

私が気にしすぎなのかもしれませんが、そういう人たちの言動や行動に対してイライラしていました。
しかもイライラするのは仕事中だけならまだしも、仕事が終わってからも嫌なことを思い出してはイライラして、他のことが手につかなくなったり、夫や友人に愚痴(ぐち)を言ったり…
アドラー心理学でいう「悪いあの人、可哀(かわい)そうな私」という思考回路に(おちい)っていました。

でもどんなに私が苦悩(くのう)しても、残念ながら他の人が変わることはありません。
私は一人で勝手に消耗(しょうもう)し、さらには愚痴(ぐち)を言って夫や友人たちにまで(いや)な思いをさせていたのです。

もう他の人に対して「人はこうあるべきだ」と思い込んで期待するのはやめよう。
期待しなければ、期待を裏切られることもないし、イライラすることもないのだから。
それに、私だって完璧な人間なわけではないので他人(ひと)のこと言えませんし(汗)

そのときは意識していませんでしたが、今思うと「自分が世界の中心に立って他人を自分の思い通りにしようとするべきではない」と(さと)った瞬間(しゅんかん)でした。

「愛されるためのライフスタイル」からの脱却
「幸せになるために―自分軸を見つけるヒント」という記事にも書きましたが、アドラー心理学では、性格などだけでなく、自分や世界をどう見ているかをライフスタイルという言葉で説明します。そして、人はそれぞれ自分のライフスタイルを選択していきます。

人は10歳前後の頃に自分のライフスタイルを選択すると考えられていますが、その頃はまだ子どもなので自力で生きることができません。
そこで、人は周りの大人に面倒を見てもらうための生存戦略として「愛されるためのライフスタイル」を選択します。

しかし成長して大人になり身体的にも経済的にも自立すれば、もう親や周りの大人に面倒を見てもらう必要はないはずです。
それでも「愛されるためのライフスタイル」をやめられない人がいます。
慣れ親しんだライフスタイルは居心地が良くて楽だからです。

「愛されるためのライフスタイル」をやめられないので、今度は自分の弱さや不幸、不遇(ふぐう)な人生、トラウマ(精神的な傷)などを「武器」にして他の人をコントロールしようとしてしまいます。

泣きついて他の人を心配させ、自分の思い通りに動かそうとするのです。
アドラー心理学では、そんな大人たちを「甘やかされた子ども」として厳しく批判します。

確かに、人は生きていくために「愛されるためのライフスタイル」という非常に自己中心的なライフスタイルからスタートせざるを得ません。

しかし、大人になったら自分が世界の中心に立っているのではなく、自分も世界の一部なんだと認めなければなりません。
自分のことばかり考えるのをやめて、他の人のことも考えて行動するべきなのです。

甘やかされた子ども時代のライフスタイルを捨て、自己中心性から脱却できたとき、ようやく人は精神的にも自立できるのです。

「愛されるためのライフスタイル」をやめると幸せになれる

穏やか

他人に期待するのをやめたら、精神的にかなり(らく)になりました。
例えば誰かが遅刻しそうになってもイライラしなくなりましたし、「何か事情があったのかな?大丈夫かな?」と相手を心配する気持ちの余裕(よゆう)までできました。

よく考えたら、私が自分のために生きているのと同じように、他の人も自分のために生きているのであって、私のために生きているのではありません。
他の人が自分の思い通りに行動してくれないのが当たり前で、他の人に期待する(ほう)がおかしいのです。

逆に他の人が自分のために何かをしてくれることは当たり前ではなく、むしろ有難(ありがた)いことなのです。
それなのに、自分が世界の中心にいると思い込んでいると、(まわ)りの人が自分のために動いてくれて当然だと勘違(かんちが)いしてしまいます。

そういう人は誰かが自分のために何かしてくれても当たり前だと思って感謝できないので、その人のために何かしてくれた人の多くは、もうその人に何かしてあげたいと思わなくなります。
だから、感謝しない人の(まわ)りからは人がどんどん離れていってしまいます。

さらには、誰かが何かしてくれて当然と思っているので、誰かが自分の期待通りに動いてくれないと、怒ったり悲しんだりして、どんどん不幸になっていってしまいます。
「愛されるためのライフスタイル」をやめない限り、人は幸せになれないのです。

でも「自分は世界の中心にいるのではなく、自分も世界の一部なんだ。自分は世界の一員なんだ」という新しいライフスタイルを選択すれば、世界は一変(いっぺん)します。

他の人が自分の期待通りに動いてくれないと失望(しつぼう)したり怒ったりしなくなるので(こころ)(おだ)やかに過ごせますし、他の人が自分のために何かしてくれたときには感謝の気持ちが()いてきて幸せな気持ちになります。

さらには、何かしてくれた人に心から感謝の気持ちを伝えるようにしていると、感謝する人の(まわ)りには人が集まってきます。気づけば、いつも(まわ)りの人が親切にしてくれて、ますます幸せになっていくのです。

これからどうするか

「悪いあの人、可哀(かわい)そうな私」と自分の不幸をアピールしても不毛(ふもう)なだけで何も解決しませんし、愚痴(ぐち)を聞かされる他の人の気持ちを考えていませんでした。
かつての私もアドラー心理学でいう「甘やかされた子ども」だったのです。

それからは、他の人が自分の思い通りに行動してくれないことに対してイライラして無駄に使っていた時間や労力を、自分が本当にやりたいことや、やるべきことに使っていくようにしました。

参考文献


『嫌われる勇気』岸見一郎さん、古賀史健さん(2013年 ダイヤモンド社さん)
『幸せになる勇気』岸見一郎さん、古賀史健さん(2016年 ダイヤモンド社さん)
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』佐々木典士さん(2015年 ワニブックスさん)